日本・オーストリア外交樹立150周年記念 ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道 Vienna on the Path to Modernism The 150th Anniversary of the Establishment of Diplomatic Relations between Japan a

 

日本・オーストリア外交樹立150周年記念

 

ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道

 

Vienna on the Path to Modernism

 

The 150th Anniversary of the Establishment of Diplomatic Relations between Japan and Austria

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グスタフ・クリムト《エミーリエ・フレーゲの肖像》1902年 油彩/カンヴァス 178 x 80 cm ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum / Foto Peter Kainz

 

 現在オーストリアの首都、ウィーンの「世紀末文化」を「近代化(モダニズム)への過程」という視点から紐解く新しい試みの展覧会が、国立新美術館において好評開催中だ。

 

今日では「世紀末芸術」と呼ばれるように19世紀末から20世紀初頭にかけて、ウィーンでは、絵画や建築、工芸、デザイン、ファッションなど、それぞれの領域を超えて、新しい芸術を求める動きが盛んになり、ウィーン独自の装飾的で煌びやかな文化が開花していた。

 

 画家グスタフ・クリムト(1862-1918)やエゴン・シーレ(1890-1918)、建築家オットー・ヴァーグナー(1841-1918)、ヨーゼフ・ホフマン(1870-1956)、アドルフ・ロース(1870-1933)など各界を代表する芸術家たちが登場し、ウィーンの文化は黄金期を迎えていた。

 

それは美術の分野のみならず、音楽や精神医学など多岐にわたるものであった。

 

この展覧会では、18世紀の女帝マリア・テレジアの時代の啓蒙思想がビーダーマイアー時代に発展し、ウィーンのモダニズム文化の萌芽となって19世紀末の豪華絢爛な芸術運動へとつながっていった軌跡をたどる。

 

2019年の今年は、日本とオーストリアの外交樹立150周年を迎える。

 

これを記念にするにふさわしい展覧会だ。

 

ヨーロッパ有数の博物館として知られ、100万点におよぶ所蔵品でウィーンの歴史や文化を今に伝えるウィーン・ミュージアム。

 

この改修工事に伴い、同館の主要作品をまとめて公開する展覧会が実現したのも、日本とオーストリアの外交樹立150周年として実にいいタイミングだ。

 

出展作品は、個人所蔵の作品をあわせて東京展で約400点。

 

絵画や工芸はもちろん、建築、デザイン、インテリア、ファッション、グラフィックデザインなど、当時の写真や資料、この展覧会のために特別に制作されたウィーン市の都市変遷映像など、“芸術の都”ウィーンで育まれた芸術世界を網羅的に紹介する展示内容もこの展覧会の特徴だ。

 

☆ウィーン ミュージアム(WIEN MUSEUM

 

https://www.wienmuseum.at/

 

クリムト47点、シーレ22点、ココシュカ17点。

 

ウィーン世紀末の巨匠の傑作が集結。

 

クリムトが最愛の女性を描いた≪エミーリエ・フレーゲの肖像≫をはじめとする油彩画に加え、素描、ポスターなどのグラフィックを通して、モダニズムの黄金時代を築いた作家たちの作品世界に深く迫っている。

 

また、クリムトに影響を与えた画家ハンス・マカルト(1840-1884)による1879年の皇帝フランツ・ヨーゼフと皇后エリーザベトの銀婚式記念パレードの絵画、作曲家アルノルト・シェーンベルク(1874-1951)が描いた絵画も見どころのひとつだ。

以下の画像はフォトギャラリーにて参照されたし。

 

グスタフ・クリムト《パラス・アテナ》1898年 油彩/カンヴァス 75 x 75 cm ウィーン・ミュージアム蔵 

 

©Wien Museum / Foto Peter Kainz

 

 

 

グスタフ・クリムト《第1回ウィーン分離派展ポスター》(検閲後) 1898年 カラーリトグラフ 97 x 70 cm 

 

ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum / Foto Peter Kainz

 

 

 

エゴン・シーレ《ひまわり》1909-10年 油彩/カンヴァス 149.5 x 30 cm ウィーン・ミュージアム蔵 

 

©Wien Museum / Foto Peter Kainz

 

 

 

エゴン・シーレ《自画像》1911年 油彩/板 27.5 x 34 cm ウィーン・ミュージアム蔵 

 

©Wien Museum / Foto Peter Kainz

 

 

 

マクシミリアン・クルツヴァイル《黄色いドレスの女性(画家の妻)》1899年 油彩/合板 171.5 x 171.5 cm 

 

ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum / Foto Peter Kainz

 

 

 

グスタフ・クリムト《愛》(『アレゴリー:新連作』のための原画 No.461895年 油彩/カンヴァス 62.5 x 46.5 cm ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum / Foto Peter Kainz

 

 

 

ハンス・マカルト《ドーラ・フルニエ=ガビロン》1879-80年頃 油彩/板 145 x 93.5 cm ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum / Foto Peter Kainz

 

 

 

 

 

東京都美術館で行われていた「クリムト展 ウィーンと日本 1900」については以下に記しているので参照されたし。

 

☆クリムト展 ウィーンと日本 1900 Gustav Klimt: ViennaJapan 1900

 

   https://artnews.blog.so-net.ne.jp/2019-07-02

 

 

 

☆構成

 

1章:啓蒙主義時代のウィーン

 

 女帝マリア・テレジアとその息子、皇帝ヨーゼフ2世が統治した1740年代から90年代のハプスブルク帝国の首都ウィーンでは、啓蒙主義に基づいた社会の変革が行われた。

 

理性や合理主義に基づき、社会の革新を目指す啓蒙主義の思想がウィーンに入ってきたのは、他のヨーロッパ諸国に比べ早くなかったが、この思想の熱烈な支持者であったヨーゼフ2世は、宗教の容認、死刑や農奴制の廃止、病院や孤児院の建設など、行政や法律、経済、教育においてさまざまな改革を実行。

 

ウィーンは、自由な精神をもつ知識人たちを魅了し、彼らの交流の場となることで、ヨーロッパ文化の中心地へと変貌を遂げて行った。

 

 

 

マルティン・ファン・メイテンス《マリア・テレジア(額の装飾画:幼いヨーゼフ2世)》1744年 油彩/カンヴァス 216.2 x 162.5 cm ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum / Foto Peter Kainz

 

 

 

2章:ビーダーマイアー時代のウィーン

 

 ナポレオン戦争終結後の1814年には、各国の指導者たちが集まったウィーン会議が開催され、ヨーロッパの地図が再編された。

 

以降、1848年に革命が勃発するまでの期間は、「ビーダーマイアー」(独: Biedermeier)と呼ばれる。

 

ビーダーマイアーとは、ビーダーマンとブンメルマイアーの合成語で、「愚直な人」という意味だ。

 

ドイツの風刺週刊誌『フリーゲンデ・ブレッター』 (Fliegende Blätter) の中に登場する、架空の小学校教員ゴットリープ・ビーダーマイアーに由来する。

 

彼は、家庭の団欒や身の回りの食器や家具などに関心を向け、簡素で心地よいものを好み、華美な家具や服装を嫌った。

 

当初、家具の様式を指す言葉であったが、やがてこの時代の生活様式全般と精神構造を表すようになる。

 

また、身の回りの小世界を描くロココ趣味的なウィーンの画家たちの作品を指して「ビーダーマイアー様式」と呼ぶようにもなった。

 

急激な都市化と同時に政治的抑圧が強かったこの時代、それに対する反動として、人々の関心は「私的な領域」へ向く。

 

あらゆる著作物に対し検閲が実施されるという抑圧された環境の中、画家たちがテーマとして選んだのは、日常生活やのどかで親しみやすい都市や農村の風景画であった。

 

世紀末芸術が花開いた1900年頃のウィーンでは、ビーダーマイアーが文化の着想源として参照された。

 

日常生活に実用的な美を見出したビーダーマイアーは、後にモダニズムのモデルとなった。

 

ビーダーマイアーに関しては、奇しくも「国立新美術館開館5周年  リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝」の筆者の記事を参照されたし。

 

☆国立新美術館開館5周年  リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝 

 

https://artnews.blog.so-net.ne.jp/2012-12-06

 

 この記事には、「ビーダーマイヤー」と記しているが、今回の展覧会では、「ビーダーマイアー」と統一して記されているので、こちらを採用して記す。

 

 

 

フリードリヒ・フォン・アメリング《3つの最も嬉しいもの》1838年 油彩/カンヴァス 80 x 80 cm 

 

ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum / Foto Peter Kainz

 

 

 

3章:リンク通りとウィーン

 

 皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の治世(1848年-1916年)に、ウィーンは帝国の近代的首都へと変貌を遂げる。

 

人口は、50万人から220万人にまで増加。

 

 近代的な大都市への変貌は、1857年に皇帝が都市を取り囲む城壁の取り壊しを命じ、新しいウィーンの大動脈となる、「リンク通り(リンクシュトラーセ)」を開通させたことに始まる。 

 

沿道には帝国の要となる建築物が次々と建設された。

 

  リンク通りは19世紀のウィーンの象徴(シンボル)であるといえよう。

 

1879年には画家ハンス・マカルト演出による皇帝夫妻の銀婚式を記念する盛大な祝賀パレードが開催。

 

また、沿道には、古典主義様式の国会議事堂、ゴシック様式の奉献教会、ルネサンス様式の大学など歴史主義建築の建物が立ち並び、さらに19世紀末にはウィーン分離派のメンバーによる建築も建設された。

 

4章:1900年―世紀末のウィーン

 

カール・ルエーガーがウィーン市長として活躍した時代(1897年-1910年)には、さらに都市の機能が充実する。

 

路面電車や地下鉄など公共交通機関も発展し、建築家オットー・ヴァーグナーがウィーンの都市デザイン・プロジェクトを数多く提案。

 

計画のみに終わったものもあるが、今日のウィーンの街並みは、実現されたヴァーグナーの建築によって印象付けられている。

 

絵画の分野では、1897年にグスタフ・クリムトに率いられた若い画家たちのグループが、オーストリア造形芸術家組合(ウィーン分離派)を結成。

 

1903年には、工芸美術学校出身の芸術家たちを主要メンバーとして、ウィーン工房が設立。

 

ウィーン分離派やウィーン工房の重要なパトロンはユダヤ人富裕層だった。

 

芸術家たちの実験的な精神や妥協のない創作が、この時代の傑作の数々を生み出したのだ。

 

 

 

フランツ・ルス(父)《皇后エリーザベト》1855年 油彩/カンヴァス 81.5 x 58 cm ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum / Foto Peter Kainz

 

 

 

ハンス・マカルト《1879年の祝賀パレードのためのデザイン画―菓子製造組合》1879年 油彩/カンヴァス 

 

64 x 285.3 cm ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum / Foto Peter Kainz

 

 

 

モーリツ・ネーア《郵便貯金局メインホール》1906年 写真 65.5 x 85 cm ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum

 

 

 

ダゴベルト・ペッヒェ《ティーセット》製作:ウィーン工房 1922-23年 象牙、エンボス加工された銀 

 

ティーポット: 19.9 x 27.4 x 16.2 cm ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum / Foto Peter Kainz

 

 

 

カール・モル《朝食をとる母と子》1903年 油彩/カンヴァス 100.3 x100 cm ウィーン・ミュージアム蔵 

 

©Wien Museum / Foto Peter Kainz

 

 

 

《エミーリエ・フレーゲのドレス》2008年再製作(オリジナル:1909年) コットンジャージー、シルクタフタ、オーガンザ 前丈:150 cm、後丈:170 cm、袖丈:63 cm ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum / Foto Peter Kainz

 

 

 

オットー・ヴァーグナー《カール・ルエーガー市長の椅子》1904年 ローズウッド、真珠母貝の象嵌、アルミニウム、革 高さ:99 cm、幅:63 cm ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum / Foto Peter Kainz

 

 

 

ヨーゼフ・ホフマン《ブローチ》製作:ウィーン工房 1908-10年 銀、金箔、瑪瑙、アメジスト、赤鉄鉱、碧玉、トルコ石、ムーンストーン、珊瑚 4.9 x 4.9 cm International Friends of Wien Museum, A.P.Collection ©Asenbaum Photo Archive

 

 

 

エゴン・シーレ《女性の肖像》(ウィーン工房ポストカード No.289) 1910年 カラーリトグラフ 14 x 9 cm 

 

ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum / Foto Peter Kainz 

 

 

 

 

 

音楽の都としても知られるウィーンだが、建築、絵画と多くの文化を生み出して来た。

 

筆者が初めてウィーンを訪れた時、街並みの美しさと「世紀末文化」が保存されていることに衝撃を受け、また行ってみたいと強く思ったものだ。

 

物価もフランスなどより安く、訪れやすい。

 

水道水はアルプスからの水でおいしい。すばらしい美術作品も多く、食べ物も美味。

 

ANAのいったん途切れたウィーンへの直行便も今は再開されている。

 

そんなウィーンを新たな観点から文化のプロセスを探る展覧会。

 

85日(月)まで。お見逃しなく。

 

 

 

会 期

 

2019424日(水)~85日(月)

 

毎週火曜日休館

 

開館時間

 

10001800

 

※毎週金・土曜日は2100まで

 

※入場は閉館の30分前まで

 

会 場

 

国立新美術館 企画展示室1E

 

106-8558 東京都港区六本木7222

 

主 催

 

国立新美術館、ウィーン・ミュージアム、読売新聞社

 

後 援

 

外務省、オーストリア大使館/オーストリア文化フォーラム、ウィーン市、ウィーン市観光局

 

特別協賛

 

キヤノン

 

協 賛

 

花王、大日本印刷

 

協 力

 

ANA、DNPアートコミュニケーションズ、ヤマトグローバルロジスティクスジャパン、ルフトハンザ カーゴ AG

 

 

 

観覧料(税込)

 

当日

 

1,600円(一般)、1,200円(大学生)、800円(高校生)

 

団体

 

1,400円(一般)、1,000円(大学生)、600円(高校生)

 

※中学生以下および障がい者手帳をご持参の方(付添の方1名含む)は入場無料。

 

 

 

お問合せ

 

ハローダイヤル 03-5777-8600

 

 

 

☆展覧会ホームページ

 

      https://artexhibition.jp/wienmodern2019/

 

 

 

☆国立新美術館ホームページ

 

     http://www.nact.jp

 

 

 

☆関連イベント

 

◯ウィーン・モダン×文化服装学院コラボレーション企画

 

日本随一のファッション専門学校、文化服装学院とのコラボレーションが実現!

 

文化服装学院オートクチュール専攻の学生が《エミーリエ・フレーゲの肖像》に描かれた青のドレスを再現。

 

さらに、ファッション高度専門士科3年の学生によって、現代の感性でエミーリエ・フレーゲにインスピレーションを受けたドレスを制作。

 

本展期間中、この2つのドレスを会場内にて特別展示。

 

展示場所:本展会場内(国立新美術館 企画展示室1E)休憩室

 

*展示場所への入場には本展の観覧券が必要。

 

*本作品は自由に撮影可。

 

               

 

☆読者プレゼント 

 

   510名様にご招待券 プレゼント

 

   あて先 :  loewy@jg8.so-net.ne.jp

 

   件名:展覧会名と会場名

 

   本文:ご住所、お名前

 

   をお書きの上どしどしご応募下さい。

 

       締切:http://art-news-jp.jimdo.comにてUPした日の午前零時

 

   速達など最速の方法でお送りいたします。

 

発送をもって当選と代えさせていただきます。

 

 

 

☆巡回予定

 

   2019827日(火)〜128日(日)国立国際美術館(大阪・中之島)

 

 

 

☆ご意見・ご要望・ご感想のお願い

 

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   あて先 :loewy@jg8.so-net.ne.jp

 

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